旅するざわわ

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【グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生―】レビューその2

どうもこんにちは、ざわわです。

 

さて、今日は

グランマ・モーゼス展 静岡市美術館 レビューその1 - 旅するざわわ

の続きで、

グランマ・モーゼスの謎に迫りたいなと。

 

70歳まで田舎で農業していた人が、80歳でニューヨークを個展をする。

 

とても不思議だなぁと。

いくら絵の才能があったとしても、無理じゃない?

 

って僕は思っちゃったのですが、皆さんはどう思いますか?

 

あれこれ調べてみたところ、面白いことが分かりました。

というか、運命的で偶然的で、事実は小説より奇なりすぎだろと。

 

展覧会では、あまり触れられていなかった話ですので、

ぜひ読んでみて頂けますと幸いです。

 

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1、謎の水道局員

1938年、とある男は4月のイースター休暇でニューヨークの田舎・フージックフォールズを訪れていた。

男の名前は、Louis Calder。

ニューヨークの水道局員として働き、芸術収集をするのが好きであった。

 

Louis 「何もねぇ町だな〜」

妻「ほんとね〜」

Louis「マクドすらねぇじゃねぇか・・・」

妻「ここからニューヨークに戻るには200マイル(約300km)くらい?」

Louis「そうだな。3,4時間くらいかな」

妻「ちょっとトレイに行っておきたいかな」

Louis「そうだな。あ、あそこの薬局いくか。」

 

何気なく立ち寄った薬局で、彼は運命的な出会いを果たす。

Louisはそこで3~5$で売られていたモーゼスおばあちゃんの絵を見つけるのだ。

Louis「(良い絵だな。全部買うか)」

 

そこで売られていた2つの作品に飽き足らず、

「もっと買いたい」

そう思ったLouisはモーゼスおばさんに連絡、

モーゼスおばあちゃんの家を訪れ、さらに10作品買うのであった。

 

10数点の作品を購入してニューヨークに戻った彼は、

あちこちで買ってきた作品を紹介、

しかし、なかなか反響は戻ってきません。

 

(もう売れないかな・・・)

 

諦めかけていた時、

「現代のまだ知られていないアメリカ人画家」というテーマの展示会が、

近く催されることを耳にする。

 

主催者に掛け合い、モーゼスおばあちゃんの作品を見せたところ、

3作品の展示までこぎつけた。

Home,  Maple Sugar Days and The First Automobile

 

残念ながらその展示会で売れることはなかったものの、

やる気を出したLouisは、モーゼスおばあちゃんに

「もっともっと作品を作るんだ!」

と伝えたと言われています。

 

2、ナチ難民の美術商

1938年、ナチスオーストリアを占拠、

翌1939年にはポーランドに侵攻し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦が勃発した。

 

ナチス占領下で人々は、ナチスからの迫害から逃れようと各国に亡命。

ナチス難民として各国に散らばった。

 

Otto Kallirは当時住んでいたウィーンからスイスに亡命。

その後パリを経由し一家揃ってニューヨークへ渡った。

 

彼は、1894年にウィーンに生まれ、1923年に出版社を設立、

また同年、Neue Galerieを開業し、エゴン・シーレ初の個展を催したこともあった。

 

彼は、19世紀〜20世紀の作品を専門的に扱っており、

クリムトムンクゴッホシニャックなどの作品も所有していた。

 

1930年にウィーン大学の美術史博士号も取得、

経営者のみならず、研究者としても活躍していました。

 

ナチス侵攻をきっかけに故郷を去った彼は、

1939年、亡命先のニューヨークでギャラリー・Galerie St.Etenneを開業する。

 

 

3、モーゼスおばあちゃんの初個展

 

水道局員Louisはニューヨーク57番外に新しくギャラリーがオープンしたことを知ります。

そのギャラリーこそ、KallirGalerie St.Etenneでした。

 

1939年末、Kallirのもとを訪れたLouisは、モーゼスおばあちゃんの作品を見せたところ、

アメリカの田舎町のリアルな生活を描いた作品は、Kallirを魅了しました。

 

既存の絵画の構図に囚われずも、

前景に大きなカエデの木やくっきりとした輪郭で人々を描き、

後景に小さな木や、ぼやけた景色を描くことで、遠近感を表現。

全体的に灰色がかった景色と融合するかのような煙突から出る煙など、

彼女のオリジナルな描き方に着目。

 

また、Kallirは彼女の絵だけではなく、生き方にも注目。

家族や村の人々との交流を大切にし、

季節の移ろいを感じながら日々生きる、

”古き良きアメリカ”を体現しているモーゼスおばあちゃんの姿は、

第二次世界大戦を経て、冷戦で疲弊するアメリカ国民を魅了すると考えたのでしょう。

 

Kallirはモーゼスおばあちゃんの自叙伝を編纂、

さらにグランマ・モーゼス・プロパティーズを設立、著作権等の管理を行っています。

 

そして、1940年10月9日、モーゼスおばあちゃんの初個展を開催に至ります。

ちなみに、開催前日の10/8、現在のニューヨークタイムズでこの展覧会が取り上げられ、

そこで書かれたGrandma Mosesでその名を知られることになります。

 

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いかがでしたでしょうか。

 

謎の水道局員と書きましたが、Louisが彼女を見つけたことから、

モーゼスおばあちゃんの人生は変わります。

 

Louisが作品をニューヨークに持ち帰り、熱心に紹介し回ったことで、

Kallirの目に留まることに。

 

作品および、彼女の生き方に魅了されたKallirは、

その経営手腕を余すところなく発揮。

 

メディアに掲載し、大々的な個展を主催、彼女の生き方と作品をセットで世に広めることで、

田舎のおばあちゃんをアメリカの国民的画家にまで大きくさせました。

 

この2人との出会い、そして彼ら二人の熱心な活動が需要だったのではないかと思います。

 

*当時のニュース記事等から情報をかき集め、想像力をかき立てて書いております点、ご了承ください。

 

ではまた!